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2016年9月 7日 (水)

交通事故の後始末

去る6月14日、自宅から近い交差点を車で右折する際、右側を直進する自転車の女性に気づかず、右側前部で接触し、自転車を運転していた女性は自転車と一緒に倒れて、自転車は変形したが、本人は直ぐ立ち上がり、警察に連絡して事故の確認を依頼した。その場では、見たところ、出血もなく大怪我ではないと思たが、念のため警察の現場検証の後、病院に連れて行き、レントゲンなど精密検査を受けた。本人の申告と医者の判断では倒れた際の頭部打撲以外は問題ないと診断され、警察の扱いは物損事故とされた。
しかし、女性は自宅に帰ってから足の痛みが異常なので、再度病院へ行き、改めて足のレントゲン診断を受けた結果、足の親指が骨折していたことが分かった。

その時点で警察の調書は物損事故から人身事故に切り替わった。

結果、私の扱いは簡易裁判扱いに変わり、裁判の判決は禁錮40日(又は20万円の罰金)、行政処分として30日間の免許停止が決定。

禁錮を避ける為の罰金は2週間以内に支払いを命じられ、免許停止に対しては、指定日に松山市の免許センターへ赴き、1日の学習を受け、合格なら翌日より運転可能と言われ、講習(講習料12,600円)を受けて無事合格し免許停止は1日で済んだ。

罰金の支払いには、残り少ない定期預金の解約をして支払う予定。

結局事故処理に掛かった保険費用合計は、

治療費合計 254,184円
自転車修理  12,917円
休業損害費  34,200円
慰謝料     59,982円
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合計      361,283円

〆て、交通費、諸経費など合算すると約37万円の大出費となってしまった。
しがない年金生活は、臨時収入などない中から、こんな大きな出費は大変なこと。
強いて言えば、被害者の怪我の程度や、お互いの車と自転車の損害額が最小限で済んだことがラッキーだったと言えよう。

今後の車の運転には、細心の注意を払って二度と事故を犯さないよう気をつけたい。

これだけの金があれば、夫婦で優雅に海外旅行位できたのに・・・残念!

この日記をお読みの貴方! 決して他人事と思わずお気をつけください。

2010年1月18日 (月)

阪神淡路大震災を想う

それは平成7年1月17日の未明、突然襲ってきた大地震だった。
愛媛県のわが家も鉄骨マンションながら 大きく揺れて目覚めた。

急いでテレビを付けたところ、淡路島北端辺りを震源とする深さ16kmで発生したM7.3と 報道されたが、まだ被害の状況は判らなかった。

しかし時間の経過と共に被害の様子が判って来たが、一番 衝撃を受けたのは高速道路の橋脚が折れて倒れた映像を見た時だった。

後に判明した人的被害は死者6,434名、 行方不明者3名、負傷者43,792名と発表された。

死者の多くは倒れた木造建物に潰された圧死だった。
鉄筋 コンクリートの建物の場合、大破しても構造的に生存空間が残るため圧死を避けられたケースが多かった。

神戸市では、木造住宅の密集地域を中心に火災が発生し近隣の建物に次々と延焼して6,000棟が焼失した。

消火活動は上水道が断水したため、貯水槽を探しているうちに炎が延焼して被害が大きくなった面もある。

また倒壊した建物で進路が塞がれ、瓦礫を除去しながら現場への到着が遅れた事により初期消火に失敗した。

更に各地の消防車が応援に来ても、消火栓とホースの規格が合わず消火出来なかった事も後に問題になった。

火災の原因には、一端止まった送電を直ぐに再開した事により、倒壊した家屋等で漏電、損壊した送電機器や 家電品が発火の原因になったと言う報告もあった。

こうして戦後最大と言う大地震により、現代社会に多くの 教訓を残した。

2009年11月20日 (金)

お仕事

 サラーリーマンを辞めて、もう15年近くになる。

年金だけの生活でも、通常の生活は不自由が

無いが、少し贅沢したいとか、新しい機器類を

買いたいと思ったときは、預金を引き出す事に

なり、躊躇してしまう。最近では地デジ対応TV

をどうするか悩んでいたときに定額給付金が

二人で4万円支給されたので38000円出費し、

思い切って21インチのテレビを買う事が出来た。

しかし、普通の生活だけでは潤いが無いので

少しでも生活の余裕に繋がる仕事は欲しい。

身体に無理なく出来る仕事として、昔取った

杵柄ならぬインターネットのホームページ造り

を、頼まれると今でも細々ながら続けている。

と言っても、積極的に営業をする訳ではない

ので少しだが、それでも人づてに頼まれたり

昔の繋がりで、更新の依頼を受けている。

先日、昔お世話した企業や商店のホームページ

が其の侭放置されているのを見つけ、メールで

ご機嫌伺いと、更新の意向を打診をしてみた所、

話が纏まり、やっと仕事が来た。久しぶりに

夢中で仕事に打ち込めたのは楽しかった。

そして、不思議な物で、友人を介して又、新しい

仕事にも繋がった。お陰で、これで年内は、

仕事三昧で楽しめそうだ。仕事の結果は

お正月のお小遣いが出来そうで楽しみだ。

2009年8月20日 (木)

秋が来た

 この数日、朝起きた時の気温がとても涼しい。

まだまだ残暑は続くとは思うが、確実に秋が近づいた

と言う感覚が本物となってきた。

今まで外から聞こえていたセミの鳴き声が変った。

あのやかましかったあぶらぜみの鳴き声は無くなり

耳の底には残るが、レベルの低いジーーーと鳴く声

だけになっている。

先ほど、ゴミ捨てに外に出たとき、道端にみんみん蝉

がバタバタと動きながら転がっていた。

まさに今ご臨終を迎えるところと思われた。

土中から飛び出して、子孫を残す事の出来た蝉の

末路なのだろうか。

2009年8月15日 (土)

終戦記念日

 太平洋戦争で散々痛めつけられた日本が、最後に連合軍

から突きつけられた日本の無条件降伏を迫るポッダム宣言に

阿南陸軍大臣は絶対に降伏はイヤだと突っぱねた。

日本政府は連合軍に対しては、ポッダム宣言を黙殺した。

ここまで痛めても屈服しない日本に対し連合軍は最後の

切り札原爆の投下を決定。8月6日の広島上空に原爆投下。

引き続き9日には当初小倉に投下を考えたが、天候が悪く

視界が利かなかったので長崎に変更。しかし風の影響で

爆弾は目標から少しずれたのは不幸中の幸いだった。

被害は最小限で済んだ。

しかしここまで追い詰められた日本としては、もう戦争は

終わりにしようと東郷外務大臣は阿南大臣を説得。深夜に

至るまで議論はかみ合わず、結局は昭和天皇に最後の

判断を委ねた。御前会議で、昭和天皇は、私の考えは

東郷大臣と同じだ。

これ以上の戦争継続は無理である。この降伏によって

日本が連合国に蹂躙されたとしても種子の一粒も残れば

再生は可能である。

今のまま戦い続けたら日本は完全に抹消されてしまう。

明治天皇が涙を呑んで三国干渉を受けた時の気持ちが

よく分かるようだ。私がすべきことがあれば何でもする。

私が国民に呼び掛けるのが良ければ進んでマイクの前に立つ。

将兵には動揺があるだろうが必要なら自分が説得に当たる。

詔を出す必要があるだろうから政府は早速起案して欲しいと。

ここで、天皇陛下の玉音放送の内容がレコードに収められた。

しかし戦争続行を主張する叛乱兵士が、このレコードの奪取

合戦が起きて一騒動もあったと言う。無事隠し通したレコード

は、8月15日に放送されることになった。

私は当時小学校4年生だったが、授業が打ち切られ、家で

放送を聴くようにと帰された。炎天下の通学路を帰る途中、

ラジオから流れてきた天皇陛下の悲しい声は今も忘れない。

「朕深く世界の大勢と帝国の現状に鑑み非常の措置を以て

時局を収拾せむと欲し、故に忠良なる爾臣民に告ぐ。

朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を

受諾する旨通告せしめたり。。。」

天皇陛下の沈痛な肉声が流れていた。日本は神の国

あの元寇が何度も日本に攻めてきても、神風が吹いて

日本は戦いに負けたことがない。なのに何故降伏なのか

と、子供心に悔し涙を流した。しかし振り返って見ると、

日中戦争の始まりから1945(昭和20)年の太平洋戦争の

終わりまでに、戦争の犠牲となった国民は兵士を含めて

330万人にものぼる。全国で111カ所の都市が空襲や

艦砲射撃のために被害をうけ、焼失した。

破壊された家屋は、強制疎開も含めると310万戸。

罹災者は880万人を数えた戦争がやっと終わったのだ。

もし、日本政府のポッダム宣言受諾をもっと早く決断して

いれば、広島の原爆も、長崎の原爆もなく、更にソ連に

よる参戦も無かったわけなので、北方4島も侵略される

事は無かった。後の極東裁判で、戦争責任者が絞首刑

を受けたが、日本にとって、この戦争は余りにも大きな

代償を払ってしまった。戦争の愚かさをつくづく反省

しなければならない。

2009年8月 7日 (金)

立秋

毎日暑い日が続いているが、今日は立秋だ。

朝早くから、賑やかに騒いでいるセミの声で

目が覚めた。

まだ暫くは暑い日が続く事だろう。

先日の日食の日、太陽がどんどんかけて行き

日食が一番進んだ頃、突然セミの鳴き声が

止まった。おや? 気のせいかな? と

思って、耳を澄ませたら、また鳴き始めた。

昨日、夕方前またセミの鳴き声が止まった。

あれ、と思って外を見たら雨が降っていた。

雨が降り始めるとセミは鳴くのを止めるのも

初めて気が付いた。

セミにとって、雨のしずくは、羽が濡れて

音が出せないのだろうか?

疑問が残った。今度調べてみよう。

2009年7月22日 (水)

日食

1今日は日食と知っていたが、朝からの曇り空、どうせ雲しか見えないだろうと、外をみることもしていなかったが、ベランダに居た家内が、日食が見えるよと言うので、空を覗いてみた。
なんと雲の間から、太陽が三日月状態で見えている。
ここでは皆既日食は見られない事は判っていたが、やっぱり太陽が欠けて行く様子は不思議な現象だ。
雲に隠れると何も見えないが、時々雲の切れ目が出来るごとに太陽を見続けたため、目の前がなんだか真っ暗に見えるようになり、慌てて観測をやめた。
写真は何枚か撮ったが、雲が掛かっているので、どうしてもピンボケのようになってしまうが、まあこれで我慢しよう。

2009年7月 1日 (水)

自然の湧き水

 我が家から直線で200m位の処に、自然の湧き水がある。

泉の名前を、葛淵と言い、昔から綺麗な水が豊富に出ている。

地元の人たちで、日頃から手入れをし、共同で管理している。

私も、毎週空のペットボトル20本程を袋に入れて汲みに行く。

今朝は、梅雨の合間の天気を見て、水汲みに行った。丁度、

私が行った時は、他には誰も居なかったが、汲み始めた途端

次々と人が来て、順番待ちが始まった。大体私の準備した

ボトルの数を見て、これは時間が掛かると見た人は一旦家に

帰った人も居た。折角だからと待った人が3組ほど・・・

待っている人には気の毒だが、自分が終わるまで待って

貰った。朝からかんかん照りで、待つだけでも汗が吹き出る中

やっと汲み終わった私は、申し訳なく思いながら帰途に着いた。

人より少し早く行ったお陰で、待たずに済んでよかった。

2009年6月28日 (日)

メバル

 一昨夜近所の港にイワシ釣りに行った時、

イワシに混じって、小さなメバルが一匹だけ釣れた。

イワシは120匹ほど釣れたので、サイズの大き目な

のは、酢漬けにして握り寿司にして食べ、残りは

醤油で煮付けにして食べた。メバルは余りにも小さい

ので、一緒に料理しなかったので、昨夜唐揚げにして

酒のおつまみにした。カリカリと頭から食べられて

美味しかった。
Photo_3

2009年6月21日 (日)

夜釣り

Mebaru 昨夜の天気予報では雨と報道されていたが、夕方の様子では雨雲も無く、万一雨ならやめれば良いと、近くの岸壁に向った。餌は3日前に釣りに行ったときの余りを、冷蔵庫で保存してあった。餌の様子を冷蔵庫から出して見ると、元気そうだったので、安心した。潮は午後9時半頃が満潮なので、満ち潮の半ばと言う頃合だった。メバル狙いで、探り釣りをしたが、なかなかあたりが無く、満潮近くまで粘ったところで、一本釣りの仕掛けから、アジ&イワシ用のさびき仕掛けに変えてみた。その途端にぐぐぐっと、メバル独特の強い引き込みがあり、17cmくらいのメバルが釣れた。メバルの習性として、群れている可能性があるので、同じポイント付近を、続けて狙った。予想通り直ぐあたりが来た。残念ながら2回目のあたりは、途中でばらしたが、3回目のあたりは、釣り上げた。写真のメバルはその時の2匹だ。その後あたりは無くなったので、納竿して帰路に着いた。久しぶり、ここの釣り場でメバルが釣れたが、この様子なら、近日また試してみたい。

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